大判例

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大阪高等裁判所 昭和34年(う)1444号 判決 1960年5月26日

被告人 山戸次郎八

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役十月及び罰金二千円に処する。

原審における未決勾留日数中三十日を右懲役刑に算入する。

右罰金を完納することができないときは、一日を金二百円に換算した期間被告人を労役場に留置する。

公訴事実中被告人が昭和三十四年七月二十八日頃藤原宗一の依頼を受け、同人が他から窃取した自転車一台を贓物であることの情を知りながら、同日大阪市西成区日活劇場附近の路上において、神崎正男に金二千五百円で売却して贓物の牙保をしたとの点については、被告人は無罪。

理由

被告人本人の控訴趣意及び弁護人の控訴趣意第一点について。

論旨は、原判示第一の事実(原判決引用の起訴状記載の公訴事実中一の事実)について知情の点を否認し、被告人の司法警察職員に対する昭和三十四年八月二十五日付供述調書は、黒山警察署の警察官が被告人の指定した奈良弁護士会所属弁護士白井源喜に対する選任の通知を拒否し、被告人の意思に反して本犯の藤原宗一の供述調書に合致するような供述を強制して作成したものであつて任意性を欠き、かつ憲法第三十七条第三項、刑事訴訟法第七十八条の規定に違反して作成された無効のものであり、右供述調書を前提とする被告人の検察官に対する供述調書の記載内容も真実に反するものであるのにかかわらず、これらの供述調書を証拠として原判示第一の事実につき有罪を認定した原判決には事実誤認の違法がある、と主張する(但し、前記供述調書を無効とする点は弁護人のみ主張する)。

よつて調査するに、原審第一回公判調書の記載によれば、被告人が原判示第一の事実につき知情の点を争つていることは明らかであるが、原判決の挙示する被告人の司法警察職員に対する昭和三十四年八月二十五日付供述調書及び被告人の検察官に対する供述調書には、いずれも、昭和三十四年七月二十七日頃藤原宗一から自転車の売却を依頼されたが、それは同人が他から盗んだ自転車を売る意味であることが直ちに判つたという趣旨の供述記載がある。そこで、右司法警察職員に対する供述調書作成の経過について証拠を検討すると、司法巡査山本正治作成の被告人に対する通常逮捕手続書によれば被告人が本件贓物牙保の嫌疑で逮捕されたのは昭和三十四年八月二十五日午後三時三十分であり、当審証人古川静馬の証言によれば右逮捕令状は、それより数日前すでに発せられていたが被告人がそれまで警察に対して多少協力的であつたため不拘束のまま取り調べる方針であつたところ、被告人の供述があいまいであり、かつその供述が変転して証拠いん滅のおそれもあるので逮捕したが、その際被告人は自分は本当のことを述べているのだし、又逃げかくれもしない、間違いなく出頭するから逮捕しないでくれと刑事に頼んでいた、逮捕後は逮捕前とは異なり被告人はほぼ真実に近いと思われる供述をするに至つた、その際被告人の取調に当つたのは前記供述調書の作成者である司法巡査山本正治であつた、ということである。さらに、当審証人宮下実の証言によれば、被告人は捜査係主任の自分に対して、逮捕されるのであれば、高田市か桜井といつたように記憶するがシラスカとかいう弁護士に連絡してれといつたので、自分はすぐに電話で大和高田市の警察へ連絡してもらうように頼んだところ自分が席をはずしていたときに同署から連絡があつて「高田市のシラスカだけでははつきりしない。もう少し詳しく調べてくれ」といつているということなので、すでに留置場へ入れられていた被告人にも「もう少しよく考えておけ。高田市のシラスカだけではわからないと向うがいつているからもう一度よく考えてみて、思い出したら係長に連絡しろ」といつたが、被告人は「そんなことはない、前にも頼んだことがあるのだからわからない筈はない、もう一度連絡してくれ」、といつていた、自分はその旨を係長に連絡しておいた、弁護士の氏名はシラスカと聞いたと思うが現在では断言できない、ということである。そして、前記古川証人の証言においても被告人は捜査係主任の宮下巡査に弁護士を頼みたいから連絡してほしいということをいつていたように思う、名は覚えていないがその弁護士には前にも世話になつて非常に心易い間柄だというようにいつていたと思う、そして、それは前に頼んだ事件で非常によくやつてもらつたという意味であつたと思う、その翌日かにシラスカとかシライとかいう名で連絡したらわかる筈だということで連絡したが結局わからなかつたというようなことを主任から聞いた記憶がある、というのである。ところで、右弁護士の氏名について被告人は当審公判廷において、白井弁護士は昭和二十八年頃から知つており、昭和二十八年と昭和三十二年の二回に世話になり同弁護士の宅へも何回も行つたことがあつて、黒山警察署で弁護士を頼みたいといつたときには高田市の白井源喜弁護士と名前まではつきりいつた、と供述しているのである。

以上の証拠から考えると、被告人が捜査主任宮下実に弁護士の依頼を申し出たときに大和高田市の白井弁護士といつたであろうことはおよそ明らかであつて、右宮下が高田警察署に電話した際に仮りに誤つて弁護士の氏名をシラスカと伝えたとしても、高田警察署から前記のごとき連絡があつた後に被告人にその旨を伝えたとすれば、被告人はその際白井弁護士と答えたであろうこともまた明らかであり、右申し出により宮下において再度高田警察署に連絡したならばそれ程弁護士の数の多くない高田市のことであるから、警察署は容易に同弁護士に伝達することができたはずであるが同人はその連絡をしていないのである。そうだとすると、右宮下が被告人の依頼を受けて高田警察署に電話連絡をしたことについてはいささか疑問があり、少くとも再度の連絡をしなかつた点においては同人に重大な過失があつたものと認めざるをえない。そもそも憲法第三十四条によつて保障される弁護人に依頼することのできる権利は、刑事訴訟法第二百三条第一項、第二百四条第一項、第二百九条、第七十八条により逮捕の場合においては司法警察員又は検察官が被疑者の指定した弁護士にその選任の通知をすることによつて確保せられるものであるところ、前記の経緯から判断して本件の場合この点において被告人の権利は全く無視されたものといつても過言ではない。さらに、被告人の逮捕の理由の一つは証拠いん滅のおそれということであるが、当審証人山本正治、前記古川証人の各証言によれば被告人の逮捕より数日前に本犯である藤原宗一は逮捕されているのであり、同人の司法警察職員に対する供述調書二通、神崎正男及び小野勝の司法警察職員に対する各供述調書によればその当時被告人に対する関係においても一応取調はなされているのであつて、証拠いん滅のおそれは考えられず、むしろ前記のごとく捜査官において被告人の供述があいまいであると考えたために、捜査官の真実と考えるところを供述させる目的から、すでに逮捕令状は発せられていたが不拘束のまま取調を行つていた当初の方針を変更して、逮捕するに至つたものと認められる。しかも、前記のごとく右逮捕後の取調において被告人は逮捕前とは異なり、ほぼ真実に近いものを供述したというのであり、その取調に当つたのが前記山本正治巡査であるところから推して前記八月二十五日付の供述調書が右逮捕後の供述に該当すると認められるのであつて、前記通常逮捕手続書によれば被告人は右供述後の同月二十七日には早くも釈放されているのである。右のごとく前記供述調書は、被告人の憲法により保障された権利を侵害し、かつ被告人の自白を得ることを唯一の目的とする身体の拘束の下に作成されたものであつて、その取調の過程において被告人が不当に心理的な影響を受けるおそれのあつたことが十分に推察されるのであり右供述調書の任意性については疑いを抱かざるをえないのである。したがつて、右供述調書に対してはその証拠能力を認めることができない。もつとも、被告人の検察官に対する供述調書においても前記のごとく知情の点を認めているのではあるが、前記司法警察職員に対する供述調書の任意性が疑われる以上、同調書の記載内容と同趣旨で、かつ更に簡略な右検察官調書の記載内容の真実性についても疑問がもたれるばかりではなく、被告人は原審第一回公判において原判示第二、第三の事実については卒直に自白しているのに反して、原判示第一の事実については本犯の藤原宗一が田舎に月賦で買つた自転車があるが売つてくれないかと前からいつていたので、盗んできた物とは知らなかつたと供述しているのであつて、このような供述を全く仮空のものとして直に排斥することはできないのである。なお前記藤原宗一の司法警察職員に対する昭和三十四年八月二十一日付供述調書及び同人の検察官に対する供述調書には被告人に対して最初から自転車を盗んでくることを打ち明けてあるという趣旨の供述記載があるが、前記山本証人及び古川証人の各証言によつて認められるごとく、右藤原宗一が逮捕せられたのは被告人が捜査官に協力したことによるものであるから、あるいは同人が被告人に対して反感を抱き、殊更に被告人に不利益な供述をすることも考えられるのであつて、右供述を直ちに信用することはできないのである。そして、右に述べた各証拠を除いては、原判示第一事実の知情の点を証明する証拠は存在しないのである。以上の理由により原判示第一事実の知情の点については疑問があり、結局右贓物牙保の事実についてはその証明が十分でないものといわなければならない。原審の事実認定はこの点において誤りがあり、かつ右の事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、弁護人の控訴趣意中量刑不当の主張についての判断を省略し、刑事訴訟法第三百九十七条第一項、第三百八十二条、第四百条但し書に従い原判決を破棄して更に判決する。

原判決の引用する起訴状記載の事実中第一の事実を除き原判決の認定した事実に原判決の掲記する各法条を適用して被告人を懲役十月及び罰金二千円に処し、原審における未決勾留日数中三十日を右懲役刑に算入し、右罰金を完納することができないときは、一日を金二百円に換算した期間被告人を労役場に留置し、原審における訴訟費用は被告人に負担させないこととする。

本件公訴事実中被告人が昭和三十四年七月二十八日頃大阪市西成区甲岸町二十番地ふる里旅館において藤原宗一から依頼を受け同人が他から窃取した自転車一台を贓物であることの情を知りながら、同日同市西成区日活劇場附近の路上において神崎正男に金二千五百円で売却して贓物の牙保をしたという点については、前に説明した理由によつて犯罪の証明がないものとして刑事訴訟法第三百三十六条に従い無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 奥戸新三 増田宇三郎 青木真五郎)

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